森田童子 夜想忌

製作日記
PRODUCTION NOTES

06 撮影初日(前回のつづき)

2020年2月24日(月)

10万円コースにご支援いただいた樋口直仁さんとコスプレ声ちゃんを中心に

撮影はサクサク進んでいきます。

伴明監督は業界内でも「速い」ことで有名。

それは監督の頭の中につながり含めて完璧に画(え)が出来上がっているから。

シナリオも速ければ撮影も速い。この撮影現場に慣れてしまうと他の現場にイライラしてしまうんじゃないかというくらい。

とはいってもそこは映画ですからそれなりに時間はかかります。同じシーンでもカットの返しや時間経過を表すカットなどで、カメラ位置を変えたりアングルを変えたり。

映画に詳しい人は見ればわかるでしょう。いくら低予算(というのもおこがましいくらい)だといってもそのへんのことでは手を抜きません。

主演の佐伯日菜子さんは主演・助演含めていろんな監督のもとで作品にかかわってきたキャリアのある女優さんだけど、はじめての仕事となった伴明組の現場をどう感じているんだろうなどと心の中で思ったりもしました。

いろんなことをつらつらと考えているうちに空は少しずつ快晴に。

昼食を挟んで10万円のご支援をいただいたおふたりも撮影に加わり、さらにはゲストも。その場面は見逃して欲しくないけど、果たしてどれくらいの人が気づいてくれるでしょうか……。

午後も撮影はサクサク進み、夕方を待たずに最初の現場の撮影を終了。

あとは日没を待って、場所を移動してこの日の最後の1シーンを撮ってクランクイン初日を終了しました。

次はロケ地を移して撮影二日目の様子を。

05 クランクイン!

2020年2月21日(金)

2020年、令和2年2月17日月曜日。

前日から続いた雨が未明まで降りしきり、天気予報はくもりのち晴れとはなっていたものの、半信半疑でのクランクインです。

無神論者で、初詣に行っても賽銭箱の前でただ突っ立っているだけの私ですが、この朝は神様仏様、ついでによくわからないけど石原良純にまで祈って電車に乗り込みました。

空は鈍色。

電車に揺られながらいろんな思いが脳裏に浮かんでは消えていきます。そのうちに「雨が降っていないだけでも良しとしなければ」という、感謝の気持ちが湧き上がり、お金の面で支援してくれたたくさんの人たちの気持ちを考えたりしているうちにロケ場所に到着。

撮影クルーはすでに到着しています。

(映画の人たちは集合がとにかく早いです。たぶん、何かトラブルが発生したときに速やかに対処できるようにだと思います。あとは天候などのこともあるのかも知れません。自然は人間を待ってはくれませんものね)

クランクイン初日の挨拶をして、助監督から今日の概要の説明があり、撮影の段取り開始です。

今回の高橋伴明組には女性スタッフがふたり
左がタッキーで右が虹空(にあ)ちゃん

助監督から説明を受ける佐伯日菜子さん
左端に見切れている伴明監督の左手に注目

伴明監督の左手に巻いてあるのはこれ
予算の関係でスクリプターが雇えないため、監督自身が進行を把握していなければなりません(ああ、申し訳ない!)

散歩している人たちでしょうか、カメラなどの機材に目を留め「何の撮影だ?!」的にチラ見しながら通り過ぎて行きます。

しばらくの時間が経過していよいよ1stカットの準備万端。

五木ひろしのようなポーズで宇乃徹さんに演技指導する伴明監督
奥にいる佐伯日菜子さんはすでに集中しています。
それを見守る撮影監督の小川真司さんとスチールカメラマンの石丸泰規さん

佐伯日菜子さんと宇乃徹さんが所定の場所について、監督の低いながらも迫力のある声が小さく響きます。

「はい、本番!」

周りのスタッフの声がすぐに「本番!」「本番!」と続きます。

「よーい、はいッ!」

映画監督のこの撮影を始めるときの掛け声は人によって違うそうです。

「よーい、スタート!」という人もいれば「シュート!」という人、「よーい、ドンッ!」という人もいるとか。

伴明監督の掛け声を聴いて、私は心の中で「ブルドックみたいだな……」と思っていたのは例によってここだけの話にしてください(監督はたぶんここを読んでいないと思うので 笑)。

何はともあれ、記念すべき森田童子映画の撮影がスタートしたわけです。

ちょっと短いですが、今回はここまで。

今から5日目の現場に行かなければなりません。

撮影初日の様子は次回も続きます。

それではまた………。

04 年が明けて、そして駆け足で

2020年2月17日(月)

ロケハン中の高橋伴明監督(奥)と撮影監督の小川真司さん

さてさて、うかうかしているうちにとうとう今日クランクインしてしまったのですが、この製作日記ではまだ撮影前の準備段階。

年末12月30日(月)に朱川さんからの原稿が届いてすぐにそれを高橋監督に送りました。童子に……いや、同時に佐伯日菜子さんにも。

監督からはすぐに「原作でいけるね」と返事がきました。そして日菜子さんからも正式に出演の返事をもらったのです。やったー!

朱川さんの原稿を読んだとき、時代設定こそ昭和ではなく現在になっていますが(朱川さんの書くものは昭和のノスタルジックなものが多いのですが、予算の関係で現在にしてくれと私がお願いしたのです)朱川さんテイストはきっちり散りばめながらも、映像が浮かぶような作品に仕上がっていて、間違いなく監督からも原作としてOKが出るだろうと思っていました。

日菜子さんはほぼ出演が決まっていたのですが、とりあえず原作を読んでから正式に返事が欲しいと私から伝えていました。

さあ、そこからは早かった。

元日の1月1日にはタイトルを『夜想忌』と決め(当初はサブタイトルを入れる予定でしたがやめました)、監督に「三が日が明けたら早速シナリオに取り掛かってください」と半ば脅すようにお願いしました。

高橋監督は毎年、一杯飲りながら箱根駅伝を見るのが楽しみとおっしゃっていました。それをむげにするわけにはいかなかったので「三が日があけたら」なのです。

そして、原作を読んだ時点で制作費が当初監督に提示した額では済まないだろうということで、前から頭の片隅にあったクラウドファンディング形式の支援金を募ることに決めたのです。

映画『夜想忌』が本決まりになったということで、支援金募集と併せて映画製作を1月5日(日)夕方に発表しました。

同時に、この〈夜想忌〉サイトも大幅に中身を増やしたのですが、それについては四谷丸終くんが大活躍してくれました。

おかげで、それまでとは比べ物にならないくらいの充実度。本当に助かっています。これからもお願いね、丸終くん!

告知は当サイトのほか、ネット媒体のamassさんと映画ナタリーさん、そして年末に監督のインタビュー取材が済んでいる毎日新聞webさんの三媒体にのみ情報を送り、それぞれ掲載していただきました。ありがたいことです。

そして、1月6日(月)から支援金申し込みをスタート。

すると、その二日後の1月8日(水)にはなんと、高橋監督からシナリオ第1稿があがってきたのです!

高橋監督は楽しみにしていた一杯飲りながらの箱根駅伝をやめて、シナリオ書きをしてくれていたのです。

それを知ったときの私の気持ちたるや。

「ごくわずかな、本当に限られた予算ではあるけれど、少しでもいいものにしなきゃ」という気持ちになりました。

大晦日の一日前に原作を書き終えて送ってくれた朱川さん、元日からシナリオを書いてくれていた監督(それにしても早すぎる!)、そして「私としてもちょっとこの作品にはこだわりたいです」とおっしゃってくれた日菜子さん。

そんなみんなの気持ちを乗せて、そしてそこにさらに童子をイメージした映画だということで、期待と応援の意味で支援申し込みをしてくれているみなさんからのメールが日々届いているのです。

本当にありがたくてありがたくてありがたくて……。

高橋監督はシナリオのめどがついた1月6日(月)には早くも撮影監督をお願いする小川真司さんに会って話をしてくれています。

1月10日(金)には私と打ち合わせ。私からは原作にないシーンをぜひ加えて欲しいとお願いし、高橋監督はそれを受け容れてくれてシナリオを書き直してくれました。

1月12日(日)には早くも改稿した第2稿が私のもとへ。

結局、シナリオはクランクインまでに第5稿まで改稿されました。

原作とは大きく変えてあるところや、省略しているところもあるのですが、それは尺の問題と予算の問題が主。それはもう仕方がないのです。

朱川さんも「監督のお好きなように変えてくれて大丈夫ですよー」と明るい声で言ってくれました。

私は私でイベント〈夜想忌3〉の映画以外のことも水面下で徐々に進めました。

そして、1月15日(水)の森田童子誕生日を挟んで1月18日(土)には製本した台本が届きました。

監督は「金がかかるから製本はしなくていいんじゃない?」とおっしゃっていたのですが、支援金が入ってきているのでいろいろと計算し、製本した台本を用意することができました。

その頃にはすでに助監督や制作のベテランスタッフらが加わり、ロケハンが始まっています。

ロケハン中。いろんな状況判断が必要となる

2月3日(月)には監督と日菜子さん(と事務所の社長)がロケ地に決まっているお店のすぐ前にあるホテルのカフェで初顔合わせ。

衣裳やら何やらを打ち合わせし、少しの沈黙。

思わず私が「はじめての監督と仕事するときってどんなお気持ちなんですか?」と日菜子さんに訊いてしまい、監督から「そんなこと監督の俺がいる前で俳優に訊くなよ」と叱られたのはここだけの話にしておいてください。

もうこの頃になると怒涛の勢いです。

私の気持ち的にはほとんどマッハで過ぎていく毎日。

水面下で進めている、イベント〈夜想忌〉とは直接関係ない(けれど大いに関連する)ほかの企画も順調に推移しています。

……とまあ、この製作日記も駆け足でようやく現在時間に追いつき、2月17日(月)にめでたくクランクインを迎えることとなりました。

数日前の長期予報では初日は一日中雨の予報だったのですが、いつのまにか晴れに変わっています。

そしてクランクイン前日は佐伯日菜子さんの誕生日。

……といったところで今回はここまで。

とにかく、スタッフ・キャストの気持ちと、支援・応援してくれているみなさんの気持ちがシンクロしていることを強く感じている私なのです。

次回からはいよいよクランクイン後の撮影の模様をお伝えしようと思います。

03 妄想が徐々に現実に……

2020年2月8日(土)

前の日記からずいぶん間が空いてしまいました。

最低でも週に一回……いえ、三日に一回は書こうと思って始めたのですが、なかなかそうはうまくいかないものでして。

さて、高橋伴明監督に映画化の話をし、それを前提に朱川湊人さんに原作のお願いをして、じっと待っていました。

「じっと待つ」と言っても頭の中ではいろんなことを考えるわけで、とにかく出来上がったものが私にとってどんな意味を持つのかということをどうしても考えざるを得ませんでした。

要するに『私はなんでこんなことをやっているんだろう?』ということです。

それは一昨年の〈夜想忌〉や、昨年の〈夜想忌2〉をやったときにもさんざん考えたことですから、追確認という作業になります。

私には“森田童子という稀有なシンガーソングライターに救われて生きてこられた”という思いがあります。

そして、“今でもかつての私と同じように救われる人がいるのではないか?”という思い。

そうなんです、もう若くはない人にだって、森田童子の楽曲に心を動かされた若い時代がありました。そういう人たちがしばしあの頃の(もしかしたら苦しくつらい思いを抱いていたかもしれない)気持ちを懐かしがるのもいいけれど、それだけではない、森田童子の楽曲は現在進行形で苦しくつらい思いをしている、あの頃の私と似たような人を救えるかもしれない、私はそう思っているのです。

それを確認する作業は実際のところそれほど楽しいものではありませんでした。遥か彼方に過ぎてしまった苦しくつらかった頃のことを意図的に思い出す作業になるからです。

しかもそんなことはこれまで誰にも言ってこなかった。そういう種類の苦しさ、つらさ。

今はインターネットが普及し、SNSを通じて他人の考えていること・思いが垣間見られる時代になりました。

森田童子はご存知のとおり、1975年にレコードデビューして1983年には活動を休止しています。それから36年。36年ですよ?

それなのにツイッターを見ると必ず毎日誰かが「森田童子」の名前をつぶやいています。それも一人や二人ではありません。

そして童子の現役時代にはまだ生まれていなかった人もそこには多く含まれているようなんです。

1993年放送のドラマ『高校教師』で童子の楽曲が使われたことにより、とても多くの人が童子の楽曲に触れました(CDが90万枚以上売れたそうです)。

でも、リアルタイムで聴いていた人の中にはそれを良しとしない人が結構いるようで、かくいう私もドラマで使われたこと自体は嫌ではなかったものの、「ぼくたちの失敗」は聴かなくなった口です。

でも今は違います。

一人でも多くの(特に若い)人に童子の楽曲を知って欲しい、そういう思いでいます。そのための〈夜想忌〉。世代を超えた年に一度の同窓会。

そんな個人的なことを今の時代に重ね合わせて、つらつらと考えながら、伴明監督と二度目の打ち合わせをしたのが11月23日。

その二日後には〈夜想忌3〉の会場候補を内覧。翌日も同様に別の会場を内覧。

今回は三回目にしてこだわりのあった新宿ロフト(1回目ネイキッド、2回目プラスワン)を離れることにしました。

やりたい日(4月25日)にすでに別のイベントの予約が入っているというのが大きな理由ですが、採算面を考えてもロフトでは無理だからです。

それで内覧をしたその会場に決める決断をしました(どこなのかはまだ発表できませんが)。

11月26日。ようやく前の電話のときに抱えていた仕事が手を離れた朱川さんと初面談。

とても気さくな方で、森田童子の話だからなのか、初めて会った気がしませんでした。

とはいえ、直木賞作家に本業の依頼をするわけですから、なるべく見せないようにはしていても心中の緊張感は半端なく。

ですが、朱川さんは私の話を聞き終えるとその場で依頼を快諾してくださいました。そして年内いっぱいに原作をあげて欲しいという無茶な約束にも同意してくれたのです。

しかも、それを原作にするかどうかは伴明監督が読んでからでないと決められないという話なのです。

そういうことを口にしたときは手のひらに冷や汗をかいているのが自分でもわかり、朱川さんに覚られまいと喫茶ルノアールのお冷を持つふりでごまかした私なのです。

快諾をもらったときは嬉しかったなあ。本当に嬉しかった。

その二日後の11月28日(木)夜。

今度は意を決して女優の佐伯日菜子さんにコンタクトを取り、翌日には事務所の社長とも話して、私の考えていること、状況を全部正直に伝えました。

映画づくり素人の私なんかが何か策を弄しても見透かされることがわかっています。

佐伯さんからはとても前向きな言葉をいただき、とても感激したことを昨日のように思い出します。あれも嬉しかったなあ。

そうして森田童子を媒介にして驚くほどうまく話が進み、11月29日(金)にはイベント〈夜想忌3〉の開催をツイッター上で発表しました。 その時はまだ映画『夜想忌』のことや、内容には何も触れていません。〈夜想忌3〉を開催するということだけです。

映画の発表は年明けの5日に予定し、それに併せてHPの用意を進めていたのです。

それからはちょっとした感慨のある自分の誕生日を経て、12月20日(金)には今度の〈夜想忌3〉に直接関係ないものの、いずれ当サイトで発表することになるであろう、あるクリエイターと会い、童子について長話をしたり、水面下で映画化の話を伝えていた毎日新聞の油井雅和記者から伴明監督の取材を受けたり(12月27日)して、いよいよ年も押し詰まった12月30日(月)、朱川さんからの原稿が届きました。

油井記者から取材を受ける伴明監督

ドキドキドキドキ……。

ワードで添付されたファイルを開くのに、あれほど緊張したことはかつてなかったでしょう。

……というわけで、今回はこの辺で。

なるべく間を空けないようにこの日記を書こうとは思っているのですけど、なかなか……ねえ。

なんとかがんばりますのでどうかお許しください(誰も期待していないかもしれませんが 苦笑)。

ではまた近いうちに。

02 もう引き返せない!

2020年1月17日(金)

妄想に妄想を重ね、とうとう私は高橋伴明監督に電話をしました。11月の初めです。そして11月5日に会うことに。伴明監督は「ちょっとお会いしたいんですが」と中身を言わない私に、用件を訊くこともなく会ってくれたのです。
お会いして初めて私は童子映画の構想を話しました。
ただし、監督は伴明さんではなく、伴明さんの京都造形芸術大学時代の教え子にやってもらえないかと話したのです。
伴明監督は2012年から京都造形芸術大学の教授(映画学科長)をしていましたから、教え子の中には監督や助監督がたくさんいて、東京にもいるだろうと思ったからです。
なぜ伴明さんに監督をしてくれと言わなかったのかって? お金がないからです。お金があったらそりゃあ伴明さんに頼みたいに決まっています。だけど悲しいかな、伴明監督クラスに頼めるお金はありません。
スポンサーもなく、製作委員会も作れない企画です。
だから伴明さんには監督ではなく、監修みたいな役割をして欲しいとお願いしたのです。
伴明監督は私がひと通り話を終えるまでじっと耳を傾けて聴いてくれました。
どんな返事がくるのか、私には無言の時間がとても長く感じました。
内心でドキドキしながら伴明監督の言葉を待っていると、監督はうつむいたまま、ボソッと言ったのです。
「俺がやってもいいけどな」と。
私は思わず「えっ!?」と小さく叫んだと思います。
「いや、童子の映画ならさ」と伴明監督。
今だから言えますが、実はどこかでその言葉を期待していた私がいました。

伴明監督は夏に次回作『痛くない死に方』を撮り終えていて、あとは編集を少し残すばかりだということを私は知っていました。
ですが、そんなことは口にせず「本当ですか!? いま確かに聞きましたよ!」と勢い込んで言ったのです。
そこからは話が早かった。
私が用意できる制作資金を伝え、その予算内でやってもらうことになりました。 30分の短編映画ができるギリギリ最低の金額です。その時はまだ制作資金の支援を求めることは考えていませんでした。

そのあと、今度は作家の朱川湊人さんに電話をしました。
〈夜想忌2〉に来てくれていたとはいえ、私がそのことを知ったのは後のことです。連絡先を調べて人を介して連絡をし、朱川さんからのリアクションを待っていました。すると翌日には朱川さんから電話がかかってきました。それが11月6日のこと。
大まかに概要を話し、朱川さんが抱えている締め切りが終わってから会う約束をして電話を切りました。
感触はよかったのでホッとして割と楽な気持ちで待つことができました。

しかし、30分の映画だけで〈夜想忌3〉をやるつもりはありません。
妄想を重ねた中で、コーナーは5つできていました。映画とそのトークで2つ。あと3つ残っています。
朱川さんと初めて電話で話した翌々日には他の出演予定者に会っていました。
でも映画以外のことについてはまだ発表できる段階ではないのでここでは割愛。

とにかく、他人を巻き込んでしまった以上はもう引き返すことはできません。
船は港を離れてしまったのです。

……では今回はこの辺で。
あっ、映画『夜想忌』の制作資金ご支援の募集は第1期締め切りが今月の24日です。つまり来週の金曜日。
余裕のある方はどうかご検討くださいませ。 それによってスタッフが変わってくる=クオリティが変わってくるんです。
よろしくお願いします。

01 映画の『夜想忌』はこうして始まった

2020年1月15日(水)

今日から映画『夜想忌』や追悼イベント「夜想忌3 ~ぼくたちの失敗~ 森田童子三回忌」について、企画・製作者が日記・備忘録代わりにつれづれに綴っていきます。
お時間のあるときにでも、どうか軽い気持ちでおつきあいください。

さて、まずは手前味噌を失礼して。
昨年4月に開催した「夜想忌2 ~みんな夢でありました~ 森田童子一周忌」は主催者としてかなり満足のいくものだったので、今年はイベントをやるつもりがありませんでした。
その気持ちが変わったのは「夜想忌2」に出演してくれた筋肉少女帯のうっちーこと内田雄一郎さんと延々6時間にもわたってお茶を飲みながら森田童子のファントークを堪能したことと、今年が三回忌にあたるというのがわかったからでした。

恥ずかしながら私はいい年をして三回忌は来年だと思っていたのです。
それで、「やるとしたらどんな内容がいいだろう?」と考え始めたのが10月。 まっ先に「若い人たちに伝えたい」ということを考えました。
私のようにリアルタイムで森田童子を聴いてきた人間だけではなく、童子が活動をやめてから、あるいは1993年のドラマ『高校教師』で森田童子の楽曲を知ったという若い人(私にとっての“若い人”は五十代……いや四十代以下かな?)は決して少なくないようなので、そこからさらに若くて童子をまだ知らない人たちに知ってもらいたいと思いました。
たったひとりでもいいから私のやるイベントで童子の楽曲を知り、気に入ってもらいたい、そのきっかけになればいいと思ったのです。

童子はすでに楽曲を遺してくれているので、そこにたどり着く回路を増やしたい。それには少し違ったことをやろう、と。
それで考えたのが映画でした。
「ただ童子の楽曲を劇伴やEDに使用するだけでなく、映画そのものが童子の世界から導き出されたオリジナル映画がつくれないものだろうか?」
そんな大それたことを考えついてしまったのです。

そこからちょっとした紆余曲折があり、「夜想忌2」にお客様としておいでいただいた作家の朱川湊人さんにオリジナル短編小説を書いてもらい、同じく「夜想忌2」にトークゲストとしてご出演いただいた映画監督の高橋伴明さんに脚本と監督をやってもらえないか?
もちろん頭の中には「夜想忌2」にお客様としておいでいただいた佐伯日菜子さんがいます。

そんなふうにいろいろ考えていたら楽しくなってしまい、「これはもうやるしかない!」と自分ひとりで盛り上がってしまったのです。
その間、うっちーとも会ったり電話やメールで話したり。
企画で一番楽しいのはそうやって妄想しているときで、妄想ですからお金もかからないし、好きな人に好きなことをしてもらえるわけです。
そこから徐々に実現の可能性を探り始めたときにはすでに11月に入っていました。

……というわけで、つづきは次回以降に。
あ、そうそう、今日は森田童子さんの67回目の誕生日です。パチパチ。
このサイトのトップページをほんのわずかですが、誕生日仕様に変えてあるのはお気付きになりましたでしょうか?

ページのトップへ戻る